代表プロフィール
代表 Nao 広辺直仁(ヒロベ ナオヒト)
履歴
1969年4月20日東京都台東区に生まれる。
その後、神奈川県秦野市で育ち、現在は千葉県千葉市緑区在住
家族は妻・長男・次男・長女の5人家族
将来の夢はプロ野球選手(巨人軍)
得意科目は体育・工作・理科
当時は、学校から帰ると毎日のように真っ暗になるまで外を飛び回り、近所の家のガラスを割ってしまったり、友達とケンカをして怪我をさせて、幾度も母と一緒に謝りに行ったりとガキ大将でした。
性格は実は穏やかでどちらかと言うと真面目だったと・・・
中学でも野球を続け、1年生からレギュラーとして出場し3年生の時はキャプテンをまかされるまでになりました。しかし、相変わらず勉強の方は苦手。その代わり体育委員の委員長や運動会実行委員長、市の陸上大会では100m、200m、走り幅跳びなどで学校代表として活躍していました。
高校は野球だけがしたくて野球だけをして過ごしていました。しかし、このころからプロは厳しいと感じ、体育系、美術系の道に進みたいと考えるようになりましたが、勉強不足で大学をあきらめ体育系の専門学校に入り、スポーツインストラクターを目指すことに…
専門学校では大好きな勉強で成績もTop10にはいり、生徒会長やスキー指導員、キャンプ指導員など学校を代表する活躍をしてました。
そして、ここで現在の妻と出逢いました。
その後、物産スポーツアカデミー(株)にトレーナーとして就職。横浜戸塚にてゴルフを中心としたトレーニング施設でプロゴルファーやプロ野球選手のトレーナーとして約2年勤務。
退職後はアウトドアスポーツのガイドやインストラクターに憧れ、フィジー~ニュージーランドに。ニュージランドのクインーズタウンにてイギリス人達と地元ホテルで働きながら共同生活をしヘリスキーガイドアシスタントやフライフィッシングガイドアシスタントなどをさせてもらい、毎晩パブに通い現地の人と人生について話したり、道なき道を釣り場を探してキャンプ生活をしたりと充実の日々を過ごしました。そのような中で、現地の方々から沢山の影響を受け、人生は楽しむものであり、家族とは一緒に過ごすもの。ジョブとワークの違い。など沢山の事を学びました。
仕事では無く志事という概念も、この時の経験が今の私のすべての原点であり、それが体にしみついています。
日本でもこうした人生をもっともっと沢山の人たちに伝えたいという思いで、日本に帰国。その後、八甲田山山スキーガイド/青少年教育文化振興会にて小学生を中心に体験学習の企画・指導員として活動。
結婚を機に株式会社フジヤにイベント・展示会・店舗造作の営業企画として就職しました。同時にNPO法人ZENに参加。全国から80名の子供たちを集めサマーキャンプを指導者としてボランティア活動を開始。
45歳でフジヤを退社。フリーとして活動を開始。
人生哲学
私は子供のころから地図帳を見て、行ったことの無い世界を想像したり、博物館に行き、大昔のころから現代までの歴史年表を見て知らない時代を想像したり、画用紙に未来の都市や乗り物を想像して描くこと、水族館に行って釣りをする時の見えない水の中の魚たちを想像したりすること、こんなことをするのが、本当に大好きでした!
しかし、その後、その感覚を忘れ、生活や仕事に追われ違和感を感じながらも大人として、男として、父として、頑張らないといけないと休みも取らずに夜中まで仕事に没頭し、家族・自分自身のことを見失い、働いていました。
40歳を過ぎたころに辞める事を考えだし、毎日、不安や恐怖を感じ、何度も何度も自分自身に問いかけていました。しかし、ある朝何か肩の力がふ~と抜けるように辞めよう!と決めました。
そして、体が覚えていたその頃の感覚が沸きあがり、当時の匂いや空気を思い出しました。これからは、子供のころのように、ニュージーランドにいたころの時のように無我夢中に人生を楽しもう!と決意しました。
やりたいことをやろう!と、仕事も遊ぶように、そして毎日を口笛を吹きながらスキップするような大人たちが増えたら、楽しいだろうなと 私自身が子ドナ星人となり 一緒に人生を楽しんでいける仲間を増やしていきたいと活動しています。